ピー・ウィー・マーケットは1940年代から65年までバードランドで司会を務め、ジャズファンにはおなじみの声で知られていた。アート・ブレイキーの『バードランドの夜』ではピー・ウィーのアナウンスが収録され、その高揚感あふれる声がライブの熱気を盛り上げた。ピー・ウィーの声はその後も多くのライブアルバムやヒップホップ楽曲でサンプリングされ、ジャズクラブのアイコンとしても活躍した。ピー・ウィーの声は楽曲と同じくらい重要な作品として評価されている。
文/池上信次
ピー・ウィーは1914年に生まれ、92年に亡くなった。1940年代半ばから司会の仕事を始め、49年から65年までニューヨークのジャズ・クラブ「バードランド」で司会を務めた。ジャズ・ファンならば、一度はレコードでその声を聞いたことがあるだろう。
ピー・ウィーの「名演」としてよく知られるのが、アート・ブレイキーの『バードランドの夜』(Blue Note)。直後にザ・ジャズ・メッセンジャーズに発展する、ブレイキーのオールスター・クインテットの歴史的ステージを捉えたライヴ盤だ。オリジナルLPでは「イントロダクション・バイ・ピー・ウィー・マーケット」がクレジットされており、CDでは「アナウンスメント・バイ・ピー・ウィー・マーケット」というタイトルで1トラックが当てられている。2曲目以降はブレイキーが曲紹介をしているが、オープニングのピー・ウィーの声は高揚感あふれる場を作り出していた。ピー・ウィーはバードランドの看板であり、オリジナル盤(10インチLP)のジャケットでは中央に登場している。
好評を受けて、ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズのライヴ・アルバムにはこの後もピー・ウィーのアナウンスが収録されている。『アット・ザ・ジャズ・コーナー・オブ・ザ・ワールド』(Blue note/1959年)では冒頭で、『ウゲツ』(Riverside/1963年)では冒頭とステージ最後の「ザ・テーマ」でその声が聞ける。バードランドでのライヴ録音である。フリードリヒ・グルダ『アット・バードランド』(RCA/1956年)でもピー・ウィーによるメンバー紹介が収録されている。
ベーシストのビル・クロウが書いた自伝的エッセイ集『さよならバードランド〜あるジャズ・ミュージシャンの回想〜』(村上春樹訳/新潮文庫)には、ピー・ウィー・マーケットについての紹介が載っている。
誰かミュージシャンが昔のバードランドの話をするとき、そこには必ず名物司会者ピー・ウィー・マーケットの名が出てくる。本名ウィリアム・クレイトン・マーケット、身長3フィート9インチ(114センチ)のこの男はいつもりゅうとした恰好をしていた。茶色のピン・ストライプのヴェストつきスーツに花柄のネクタイ、あるいはダーク・グリーンのヴェルヴェットのスーツに大きなボウ・タイ。特別な催しの折にはタキシードを着た。
ピー・ウィーの「名物」の所以はいろいろあったようだが、そのあとには、店に出演するバンドのリーダーにチップを強要することや、それを拒否すると名前をわざと間違えて紹介するといったネガティヴな印象がけっこう長く綴られている。その実像はともかく、ピー・ウィーのアナウンスが、ライヴをより熱いものにしていたことは確かだろう。バードランドでのライヴには、15年も司会を務めたのだから。
そして、その特徴ある声は多くのライヴ・アルバムに残されただけでなく、ヒップホップの時代になってからはサンプリングされ、ジャズ・クラブのアイコンとしてフィーチャーされた。彼の声が聞ける楽曲には、クインシー・ジョーンズ『バック・オン・ザ・ブロック』(Qwest/1989年)収録の「ジャズ・コーナー・オブ・ザ・ワード」と「バードランド」、US3『ハンド・オン・ザ・トーチ』(Blue Note/1993年)収録の「カンタループ」がある。近年でも、マカヤ・マクレイヴン『ディサイファリング・ザ・メッセージ』(Blue Note/2021年)の「ア・スライス・オブ・ザ・トップ」と「トランクィリティ」でサンプリングが使われている。ここまで来ると、本人が意識していなかったとしても、「声」は楽曲と同等の「作品」といえるだろう。
文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中。(小学館スクウェア/